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移動編集局 那賀郡 たからもの−農村舞台を訪ねて【10】
江戸以降に神社の境内に建てられ、人形浄瑠璃や素人芝居が盛んに演じられた農村舞台。那賀町は、その宝庫と言われるほど多くの舞台が残る。廃れゆく農村舞台の保存と再生・活用に汗を流す人々の営みを追う。(編集委員・谷野圭助)=2009年6月20日から連載
■ 青年団 応援の輪 眠る財産 再生手助け ■徳島新聞2009/7/2
「あのな、人間って、一生のうちであんまり仕事できへんねん。けど、機が熟したときは『ガーッ』といかないかん。嫁も息子も皆ほって。これは男の取るべき道や」
すごい気迫だった。酒に酔っていたことを差し引いても、その言葉には「那賀町で何かを根付かせたい」という強い思いがこもっていた。
2007年秋に徳島で開かれた「国民文化祭」以来、農村舞台公演や後進の指導で頻繁に那賀町に入っている文楽人形遣いの吉田勘緑(かんろく)さん(53)=三好市出身、神奈川県在住。町内で高まる舞台再興の機運を受け、自らを鼓舞するように「那賀町は今、チャンスや」と言葉をつないだ。
ここ数年、町内の農村舞台では活発な動きが続いている。04年の拝宮(はいぎゅう)(旧上那賀)、07年の北川(旧木頭)に次いで、今秋には川俣舞台(旧上那賀)で復活公演がある。町の青年団も新たに人形座を結成し、舞台を活用する取り組みが連鎖的に広がり始めた。
農村舞台の復活には、過疎化や高齢化といった地域が抱える窮状が立ちふさがる。復活を遂げた舞台に共通するのは、地域外の支援者が応援しながら、地元の住民と一緒に公演を作り上げるスタイル。ともに語らい、酒を酌み交わし、信頼関係を築く中で一つ一つの公演を紡ぎ出していく。
吉田さんをはじめ、城北高校民芸部OBらでつくる青年座(玉井啓行代表)、舞踊家の檜千尋さん(45)=徳島市住吉4=らは、那賀町での農村舞台公演に何度も出演してきた「応援団」。地域を見つめるまなざしは、それぞれ温かい。
青年座の玉井さん(52)=徳島市国府町日開=が言う。「公演前になると、地元の人は草刈りや山道への手すり付けなど、目に見えんところで盛り上げてくれるんです。でも、裏方ばっかりでは楽しめんと思う。地元の人が舞台に上がれるような催しにせんと、長く続かんでしょう」
そんな思いがあるからこそ、地元の青年団が結成した人形座への期待は大きい。「彼らを全面的にバックアップし、大事に育てていくんが僕らの役目。火付け役として外から出掛けて行くんもええけど、ゆくゆくは地元で賄えるんが一番いい」と話す。
檜さんは、個々に表情が異なる農村舞台で、それぞれの魅力を引き出す演出を考えてきた。
「農村舞台公演では人形が主役だけど、違う角度から現代舞踊が絡み、舞台のよさを引き出せたらと思うんです。そこの場所が持つ魅力も、踊りを通じて伝えたい」
事実、5月の拝宮公演では、木々の緑を借景とした舞台背後の大窓から檜さんが登場。舞台の美しいロケーションを際立たせる演出に、客席から歓声が上がった。
檜さんは、徳島の民俗芸能研究家で舞踊家でもあった故・檜瑛司さんの次女。民俗芸能の調査で山を訪ね歩いた亡父の跡をたどるように、自身も山に入ってきた。「年を重ねるごとに、地域に根を張って生活している山の人の強さや大切さが分かるようになりました。その人たちのために何かをしたい。私が踊ることで、少しでも元気になってくれたら」と願う。
多くの応援団に支えられ、那賀町の農村舞台や人形公演はこれまでにない追い風を受けている。取材で出会った地元の人は皆、舞台をてこに「地域を何とかしたい」と考えていた。高齢化が進む集落。これからは時間との戦いが加速する。
農村舞台は生活に根差した長い歴史を持ち、地域の「たからもの」として受け継がれてきた。そして今。公演を通じて自信と喜びを手にした経験が、何物にも替え難い地域の「たからもの」になっている。この財産を、次代につなぎたい。(編集委員・谷野圭助)=おわり
【写真説明】那賀町での公演を重ねている(左から)玉井さん、吉田さん、檜さん=同町拝宮の拝宮農村舞台
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